Posted in 神や天のこと on 06/03/2010 12:46 am by saho
ついでなので、式神について。この存在は人間界にかつて生きた経験がない場合が多く、世界分布的な意味合いで同類項としては妖精・霊獣・精霊・使い魔などと称されている。
神ではないが、神と同じ世界に住むお使いさんだ。人間としての生を経験していないので霊的な波動は纏わないないが、淡々とした気配で自由気ままに辺りを徘徊する。
日本ではキツネさんや龍さん、白蛇さん、カラス天狗さんの姿を持つことが多い。知人の家に棲む式神はバリから来た外来種ではあるが、その姿はカラス天狗にとても近い。
神界と同じく、その個体のレベルも上層レベルから低層まで無数に存在し、それぞれの業界から仕事を与えられて、こちらの世界に出てくるようだが、八百万の神とは全く異質の生き物のようだ。そんな豆知識でした。
Posted in 神や天のこと on 06/03/2010 12:45 am by saho
さて、翌日のこと。知人は朝から式神に戻って来てくれるように心をこめて祈り、お供えを供えたらしい。その夜になって、家の中に何かが居るような気配がするんだけどと電話が掛かって来た。
家の中のそこここで音がしたり、何かが動くような気配がするのだそうだ。どうやら以前の式神が遅れ馳せながらも無事に新しい家に引っ越して来てくれたらしい。この極めて人間的な式神が、これから何を引き起こしてくれるのかは、まださっぱり判らない。けれど、これもこの世で与えられる必要な縁の一つなんだろうと思う。あの世に戻って、いつしか成長できた暁には、「あぁ、あの時の式はあなたでしたか!」との再会もあるんじゃないかな。そんな微笑ましい、式神のお話でした。
Posted in 神や天のこと on 06/03/2010 12:44 am by saho
少し前に知人が引越しをした。全ての荷物を出し終えて、ソレは勝手に付いてくるものだと思っていたらしい。ある日、電話で「気配」の話題を話していて、ソレが居ないことに気が付いた。
ソレ、とは、以前に私がバリから持ち(連れ)帰った“ガルーダ”の分身で、鳥の姿をしている式神だ。詳細は数年前の日記にも印しているので、覚えておいでの方も多いだろうが、その鳥のようなものは始めに縁のあった私よりも、その優しい知人に憑くことを選んだ経緯があった。
どこに行っちゃったのかな?と気配を探してみると、まだ前の家に居るらしい。寂しくて、まるで蹲って泣いているかのように心細げにしている。一体、この子供じみた様子は何なんだ?とも思ったけれど、人にはそれぞれの個性があるように、これも式(神)の個性なんだろう。
知人には、直ぐに呼び寄せるように伝え、式の好物のお供えを供えるように話した。因みにこの式の好物は甘い飲み物やキャンディーと酒。酒は神の好物として一般的だが、甘いものを好むのは憑く人間の好物にも左右されるのだろうか…。続く…
Posted in 神や天のこと on 09/23/2009 09:01 am by saho
新潟の神社に立ち寄った。彌彦神社(いやひこ)は地元では「やひこ」と呼ばれている越後国一宮で、万葉集にもその名があるらしい。
祭神は天香山命(天照さんの曾孫)。初めての参拝だったが、なかなか素晴らしい神社で、神の濃厚な気配も十分にあり、関西のそこらへんの神社などにはない迫力もあり、大変に気持ちの好い場所でした。
また神社から奥宮のある弥彦山にロープウェイでも登れるそうですが、強烈な筋肉痛のために断念しました。ちょっと残念でした。ここの神たんの気配は、「戦上手な、でも心は優しいおっちゃんの神さま」といった感じで、畏敬心を持って素直に参拝すれば、それに見合った安らぎを頂けます。
後で調べそこの宝物殿には日本一と謳われる志田大太刀があったことを知り、見れなかったことを後悔しています。…また近いうちに…行くぞぉ〜!
Posted in 神や天のこと on 09/16/2009 08:34 am by saho
24神の設定は、当時の真理への道しるべを求めた折の、その力添えを恃(たの)める神として存在していた。他の神社に意味もなく立ち寄るのなら、熱心に真理を求める者の灯明となる力をより強く持った神の方がいいだろうといったガイド的な意味合いがそこには強くあった。
しかし、それからもう何年経っただろうか。それらの加護なしに既に一本立ちし、更に上層を求める者が多くなっている今では、求める先も神社などではなくなってきているのが現状だ。
成長の一時期の手掛りを、今もなお求め続けるのは、未だに手掛りさえ得られていないのか、得ようとしないのか。24神よりももっと素晴らしい神や神社はまだまだ山のように在る。そんな小さなことで真理への視野を、どうか狭めないで欲しい。
Posted in 神や天のこと on 09/16/2009 08:25 am by saho
以前、推奨していた日本国に於ける「24神」というのがある。これは、その神社に参拝するといい神に逢えるといった内容のモノで、当時は私を含め、参拝気分を味わっていたものだが…。
いま現在でも、なお同じようにその24神を求めて熱心に巡礼されている方がある。これは趣味の問題なので、個人が崇敬される分には私の口出しする義務も権利もないのだが…これは参拝ごっこへの執着であり、強すぎる崇敬は数年前のその時点に氷付けとなったまんまで、そこからの成長が感じられない。
時間は流れている。そしてその時に必要だったものも、成長と共にいつかは色あせたり、卒業のときを迎える。その経過という大切なモノを、何よりも手放そうとしない意図は何処にあるのだろう?
執着・拘り・手放すことの恐れ。はたまた崇敬する神よりの特別な温情を望んでいるのだろうか?
Posted in 神や天のこと on 09/14/2009 08:49 am by saho
天への間違った答えとは、結局自分のカルマや因縁などによるモノも多いが、ここで単発的に来ている事象は、そのほとんどが数日以内か、私の場合はほんの5分前に自分の出した間違った答えへの返答である場合が多かった。そして瞬間的に財布を忘れたことを思い出して、そこで初めて気が付いたりする。あぁ、また(天に)怒られたわってね。
天は人に決して罰を与えないが、何かの力が働いて、大切な何かを気付かせるためにだったら、何でも平気でやらかしてしまうシステムになっている。
人には最悪に思えるような事故や事件や病気など、天にとってはさして悪意も無く(笑)、それらは遣って来る。翌日に続く…
Posted in 神や天のこと on 07/27/2009 09:45 am by saho
意外に懺悔に対しての問い合わせが相次いだ。真理とは遠く異質に感じたからだろうか?
神道・真理・ニューエイジ・ヒーリング・ヒンドゥー教のヴェーダ・中国の易経・仏教のスートラ・ヘラクレイトス・仏教そして新旧約聖書に起源を持つ宗教全般、ならびに禅。全てに共通する意識は、普遍の宇宙的唯一絶対神の存在と、それに倣うかのように進化し続ける魂の存在だと思う。
昔は天国へと還れる儀式や形式・呪文ももっと単純だった。「なむあみだぶつ」や「アーメン」「ありがとう」それに似たような呪文の数々。そのどれにも意味なんてものはなく、意味があってもそもそも一般的には意味不明で何を言っているのか解らない。
要するに心がまるっきり篭っていない…のに、天を目的にし、そこに心を添わせようとしている。どうも、その辺りの部分に懺悔の大きな秘密があるようだ。
天国に行くには、身を清めるために懺悔をしなくてはならない。懺悔といっても、此処でいう意味は、「天に対する罪・穢れ」であり、これらは何代にも亘っての過去世に於いて、あなたの魂に書き込まれたデータでしかない。
そのデータを消すには、心の篭らないデータしかない。不思議な話だが、真理に心は…既に必要とはしない世界のようである。
Posted in 神や天のこと on 07/15/2009 08:32 am by saho
先日の日記の『感謝にも種類が』の内容で、どんな点を神に感謝すればいいのか判らないとメールが3件入りました。
「今日も生かしてくれてありがとう」でもありませんし、「なんとなくありがとう」でもありません。それらはご先祖様や自分個人に就く守護例や守護神へと感謝するべき内容になります。
では具体的に何を?などと限ろうと考える姿勢が既に間違っています。全てを御創りになった神への感謝には、ただ在ることを感謝すればいいんです。
『ただ在る事』これは全ての存在への肯定です。自分の存在も、愛する人の存在も、憎たらしい人の存在も、その時起っている自分の悩みや問題や、嬉しかったり悲しかったりする自分の全ての感情など。また、時の事象も、寒かったり暑かったりの環境も自然破壊による環境問題全ても、大地も地球も、太陽も宇宙も…そう、在る物全てへの感謝です。そこに個人の感情など挟み込む隙はありません。ただ、あるがままへの…それらを御創りになった神へ、その場に存在できる自分の意識で感謝するのです。
そしてあなたに今出来ることといえば、その与えられた環境の中での調和しかありません。調和は感謝の気持ちがなければ叶わない、とても精密な感情や精神性の秤ともいえます。あなたは今日、たとえ一回でも自分に対して『あ、私って偉い♪よく頑張ってるもん♪』って素直に微笑みかけたことってありました?誰かへの不満ばかりで目が釣り上がってませんか?それに気が付いた時にこそ、全てを肯定して神にあるがままを感謝するのです。
宗教的な書き方になってしまうのは不本意ですが、そう考え実践していく内に、心と魂の器は自然に広がりを持っていくんだと思います。『ありがとうございます。感謝いたします』もう、それ以外の言葉は何一つとして必要なモノなど無いんです。信じていてください。そうしていく内に…あなたの運命は確実に変化していくんですから。
Posted in 神や天のこと on 07/09/2009 06:52 pm by saho
昨日に引き続き、魂への啓発について掘り下げてみたい。何故に天から、はたまた神からの啓発があるのか。それは目的を持って生まれ出でたる自分への『指針』を見失ったことに全ては起因する。
そんな生まれる以前よりの目的など、内容はすっかり忘れ去っているのが普通だが、あるとき安堵する生活に満たされた後あたりに、じわりと生きることへの渇望感を覚えてくる。それを潤すのが、宗教である場合も多かったことだろうが、今ではそれも役に立たぬと感じる方が増えていらした。
情報の多様化による、自由意志の決定事項が増えたためだろう。しかし宗教でなければないで、なかなか道を見据えられぬ事も増えるだろう。そんな中で、魂の根底をも揺るがすような、ハラワタを引き千切られんばかりの、言うならば自分だけではもうどうしようもないほどの艱難が訪れる。
そんな時、いつでも同じように立場を変えず、決して奢らず、真理へのスタンスを伝え続けられる人に出会い、覚束無い中でも真理への自分なりの姿勢を見つけ始める。
ショックな出来事が吾身に降り掛からねば、見向きもしなかったような理論や真理に、まるで初めて聴く話題のように、真綿が水を吸い取るように、身に沁みる課題がそこここに落ちていたことを知る。
そして、ようやく自分の生まれ出でたる真の意味を知る。ほんに長い道のりやなぁ。そやけど、そこに到達出来はる人は、全体の一割も、まだ居てはらへんのが悲しいことやなぁ。