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Archive for the ‘神や天のこと’ Category

お伊勢さん

 伊勢神宮に新年のご挨拶と参拝に出掛けて来た。お正月だけあって恐ろしいばかりの人で、参拝するまでに小一時間ばかりは並んだだろうか。

 いつもの砂利道を歩きながら「あぁ、私ってこんな歩きにくい砂利道でも、両足で立って元気良く歩けてるっ♪神たんありがとうっ感謝してるわっ♪」「あぁ、あの遠い山から鳥が飛んでるのがこんなにも澄んだ空気のお陰でハッキリと見えるわ。なんて自然って美しいんでしょう♪神たんありがとうっ感謝してるわ♪」

 ジャリジャリと参道を歩きながら、自分のことを感謝したり、当たり前のように存在している自然そのものに感動していた。そして、顔を見合っては微笑みかけている、こんな素敵な(面白い)家族に恵まれて、なんて有難いのかしら。神たんありがとうっ。たまに逆恨みもするかもしれないけど、感謝しますっ…。

 ちるちると伊勢うどんを食べながら、目には見えない遥か遠くにおわす宇宙の唯一創造神に向けて、人間らしい不平不満を織り交ぜながらも、感謝していた。やっぱり伊勢のエネルギーは凄いものがあるようだ。

 

続いて梯子

 トンカチに限らず、天からの警鐘は日々の生活の中に数多潜んでいて、何処でどの段階でそれに気が付くかで物事の大小の差は出て来るようだ。

 例えば私は先日、子供部屋のベッドの下を掃除していて、うっかり梯子の取れていたのに気が付かず、頭の上にゴチンとそれが倒れてきたことがあった。この時にも見事に星が飛んだ〜★

 痛い頭を撫でながら、やっぱりその場に座り込み瞑想する。この瞬時の軌道修正が何よりも大切だろうと思われる。私の場合は犬と同じで、その場で反省しないと後で反省しようと思ってもすっかり忘れていたりして、事の重大さに気が付くのが遅れてしまうからだ。

 この小さな事件をオザナリにして見過ごしてしまうと、どんどん警鐘自体の危険度レベルは上昇し、始めはトンカチや梯子で済んでいた物事が、やがては核弾頭投下にまで拡大してしまう。これは決して笑い話などではない。

 そして軌道修正を試みて、自分の深い部分でのズレに気が付いたら、天に感謝する。気が付かなかったとしても、やっぱり感謝しかないだろう。こうして人間界をガムシャラに駆け抜ける私には、年中生傷が耐えない。何もコレは、私がそそっかしいからでは…決してないのであるっっ!!(胸張り〜!)

 

トンカチ

 先日、掃除用具を出そうとして廊下のロッカーを何気に開けたら、1メートル程の高さの棚から足の甲の上に鉄のトンカチが落ちて来た。目から火花が飛んだ…。多分、チビがちゃんと工具入れにしまわなかったせいだろう。

 しかもそれは右足の、夏に骨折した箇所の上に落ちた。もうここまでくれば笑うしかない。要は天から繰り返し与えられている『足元をしっかりと見極めよ!』のメッセージ。私はナニか重大なミスを犯しているようだし、未だにそれに気付いてもいないようだ。

 そのまま右足を擦りながら廊下にぺたんと胡坐をかいて座り込み、瞑想に入る。そして自分の心の底で秘かに揺れ動いている中途半端で不安定な部分を探した。ふふん、やっぱりコレだな。瞬時に湧き上がってくる自分の中の違和感を取り出した。そしてその違和感と向き合ってみる。

 「本当にそれを望んでいるのか?本当にそれを何よりも必要としているのか?そして、それが私の正義なのか?」浮世の事象に絶対など有りはしない。全ての自分への問い掛けへの答えは、『何も欲しくない』だった。

 若し、何かを欲しがって動いたりなどしたら…私が此の世で一番大切にしているのもさえも、気付く為のステップの一つとして、簡単に奪い去られてしまうだろう。

 そう、私はこの狭苦しい物質社会の中で、宇宙の『一つなるもの』との調和を図るためにこそ生まれてきた。既に必要なモノは全て手に入れている。それ以上を望むことは、結局はバブル期の過剰な投資にも似て、内から果実を腐らせてしまうようなものだ。

 トンカチが落ちてきてから5分後。天に感謝しながらおもむろに立ち上がり、何事もなかったかのように掃除の続きを始めた私でした。

 

孤独・パート2

 そういえば、とある相談者の家庭も、社会的には立派なご主人な筈なのに、家庭に戻ると自分の実の息子にすら嫉妬してしまい、妻と息子が電話で話すだけで煩いと怒鳴ったりするらしい。もうご主人がかなりご高齢なので、「このまま穏やかに(コロッと)向こうの世界に還ってくれれば…」と奥さんはため息混じりに私にそう言った。

 高齢だと真理を指し示してみたところで、今までの自分なりの解釈で十分世間を渡り歩いていらして成功して来ているものだから、拒絶することも多いだろう。

 こういった我侭頑固な方は、亡くなる前に動けなくなり、気道切開を受けて無理矢理に人工呼吸器を取り付けられ(かなり苦しいらしい)、悲しいかなオムツを装着され、痒いところに手など届きようも無いような…自分の意思の全く関与出来ない時間を持たされることが多い。

 その間に、自分の人生や行いを反芻でもするんだろうか?それとも眠っている間に、死期が近付きあの世との頻繁になった交流の中で悟りを開いているんだろうか?何度でもまた人間をやり直せるならすればいいが、私はそろそろ輪廻から離脱して次のステージに行きたい。

 そう願っている割には我侭は消えないが…孤独感はまるで感じない。それは天と繋がっている!全ての存在と繋がっている!と、そう確信を持っているからである。逆に孤独になりたい方法は、たった一つ。天との繋がりなど、まるで無いと思い込むことである。

 

天の試練その2

 昨日の解釈は、主に肉体についての極めて表面的な部分に限られていたのがちょっと個人的には気に入らない(笑)。

 では、どう違うのか。先ず、大任とは何ぞや?から始まる。これは真理探究の観点から発すれば、勿論社会や人などに対することではないことくらい、容易に想像は付くだろう。この大任とは己の…(かなり宗教用語になってしまい歯痒いのだが)、解脱に尽きる。

 解脱、若しくはこの世への輪廻転生からの離脱。人間社会での勉学の不要になった者。又は更なる天界への進化、とも表現すればよいのか。それこそが、人間としてこの世に下りてきて学ぶための意味であり、極意だと思う。

 先を急ぎたい魂には、当然に猛烈な試練が与えられ、緩やかに生を愉しみたい魂には、それなりのスケールの苦悩が与えられる。真理には目もくれず自分本位にこの生を生きれば、己が己の無知な魂を鼓舞させるために檻に繋がれたるような不自由さを感じる生ともなろう。その究極の真理。他に求めようとする者が後を絶たないのが現状だが、それらの者に真理を手にすることは絶対に出来ない。

 何故なら真理とは、己が内にこそ存在するのだから。私なりの、そんな読み解き。

 

 そういえば…長野県の大和神社を主神とする宗教法人が、教団内の集団暴行で信者を死に至らしめた事件がニュースで報道されたとき、チビが無言の内にそっと私の顔を見た。思わず「何よ?だ、大丈夫よっ!!」そんな何気ないやり取りが可笑しかった。

 私は何があっても絶対に宗教団体にはならないし、メンバーに暴行を加えることも無い。そもそも教祖がロールスロイスのリムジンに乗っているのからして、何かがおかしいと、何故に思わなかったんだろう?

 この日本で一番有名で強大な宗教団体の教祖(たち)が、過去も現在もそうしてきたからそれに倣っただけだろうか?同じ一言で教祖とあっても、その魂格、霊格、波動など千差万別でありとあらゆる階層が渦巻き、主神といっても、これまたあらゆる階層の神がおられる。

 何処の宗教がいいのか?何処の教祖がいいのか?などは語る本人のレベルもあるし、訊く側のレベルによっても感知出来ぬ部分も多々あり、もうこうなっては運命としか呼べない繋がりが発生してくる。

 祟り神やカルト教団に引っ掛るのも、勉強の一環としては人生の中でのいい材料にもなるだろうから、それぞれの信者さんたちにも頑張ってもらいたいものである。

 因みに私には主神と呼べる神は地球上には一柱たりともおられません。宇宙の創造主こそが唯一神であり、太陽はそれを地上に体現出来る一番最高の表現主だと位置付けております。日本の最高神でもあるお伊勢さんも、大先輩程度の神としか認識していません。どの道、有名な神社の神の名を騙った所で、天を欺くなど出来ないんですからね。

 

前世からのカルマ

 何気なく雑誌を捲っていると、広告欄にビッシリと霊能者や占い師、はたまた気功師などが有料のお悩み相談引き受けます〜と載っていた。

 そこに「あなたの前世からのカルマを読み解き、悩みを解消します」と謳ったモノに目が留まった。それが広告通りの真実だったら私も知りたい(笑)。しかし、他人のカルマを読み取り一方的に悩みを解消させてしまったら、本人が学ぶべき摂理を横取りし、天の仕組みを妨害したことになってしまう。

 天の理を知ってそれをすれば、想像するだけでも恐ろしいものだ。真理へと向かわずなまじっかの能力がある人が、殊更に畳の上では死ねぬと言われる原因はそこにもあるかもしれない。

 それに、だ。人は敢えて前世など記憶せずに生まれて来ているのに、今更それを知る必要もないし、知ったところで何の得にもならないだろう。どんな内容に関しても、これだけはハッキリ断言出来る。『神の行う仕事を、人間がしてはならない』

 尤も、そんなことなど出来る由もないのだが(笑)。

 不思議な広告がやけにツボに嵌った私でした。

 

天の視点

 天の視点とは、如何なるものを指しているのか。文章にすれば只の言葉の羅列になり、真剣に書けばそれだけ陳腐にもなりそうで怖いが、その多くは人間らしい感情から切り離されたところに存在するものなのかもしれない。

 利益、愛情、駆け引き、そして恐れ、恨み、執着。そのどれにも属さない段階の精神状態でないと到達は不可能だ。

 表面的な感情の、更に澄み切った心の奥で感じ取らねば、その境地には達せないだろう。ただこれを一日中、通常の社会生活を営みながら実践することは不可能に近い。

 しかし、必要なその瞬間だけくらいなら、物事を天の視点から眺むることは訓練すれば可能だろう。一日24時間の内のたった10秒くらいなら。

 精神と魂を研ぎ澄ませて連日訓練すれば、天の采配する境地にも手が届くのではないだろうか?先ずはそれを体験しておかねば、天より己に与え給うた問題点にすら答えを見つけ出す事は出来ないのだが…。

 

天への答え

 ここ数日の日記の内容で、『天の答えを出す』といったフレーズが、まだまだ解り難いもののようで、質問が相次いだ。

 これは人間の社会における艱難や苦悶を指しているのではなく、生まれる前から決められた自分自身に与えられた欠損部分に気が付くための事柄を指す。

 これは必ず誰にでも在る。その欠損部分の具体的な内容とは。結局は天や神を信じておらず、己自身をも裏切り続けているような…。判りやすく説明すれば、親不孝をしている放蕩息子(娘)のようなものだ。

 親は決してわが子を見捨てることなど有り得もしないが、子供は己が勝手に成長したものと思い込み、平気で親を切り捨てる。しかし見て見ぬ振りをしたところで、内心には薄っすらとした後悔や慙愧の念は残るんだろう。そのうち、無意識のうちに自分を裁き始める。

 レベルには数段の隔たりがあるが、これと全く同じことが天の世界でも起こっている。これこそを伝えることだけが、私のお仕事。

 連日のように舞い込む霊能者まがいの仕事など、門前の掃き掃除にも似た作業。

 どうか気付かれた方から社殿の中にお入りになり神の前へ。

 そして神殿の前にお進みになり、天への答えを出して下さい。

 

前世からのカルマ

 何気なく雑誌を捲っていると、広告欄にビッシリと霊能者や占い師、はたまた気功師などが有料のお悩み相談引き受けます〜と載っていた。
 そこに「あなたの前世からのカルマを読み解き、悩みを解消します」と謳ったモノに目が留まった。それが広告通りの真実だったら私も知りたい(笑)。しかし、他人のカルマを読み取り一方的に悩みを解消させてしまったら、本人が学ぶべき摂理を横取りし、天の仕組みを妨害したことになってしまう。
 天の理を知ってそれをすれば、想像するだけでも恐ろしいものだ。真理へと向かわずなまじっかの能力がある人が、殊更に畳の上では死ねぬと言われる原因はそこにもあるかもしれない。
 それに、だ。人は敢えて前世など記憶せずに生まれて来ているのに、今更それを知る必要もないし、知ったところで何の得にもならないだろう。どんな内容に関しても、これだけはハッキリ断言出来る。『神の行う仕事を、人間がしてはならない』
 尤も、そんなことなど出来る由もないのだが(笑)。
 不思議な広告がやけにツボに嵌った私でした。