Posted in 未分類 on 06/14/2010 10:44 pm by saho
取引先の方が面白い話を聞かせてくれた。仮にその方をY氏としておこう。このY氏、学生の頃は泣く子も黙る某W大山岳部に在籍していたそうで、見るからに今でも山男。そのY氏が大きな身体を縮めながら…山ではこの世とあの世が入り乱れてるんです!と話してくれた。
聞けば、群馬のT岳(遭難者の異様に多い山らしい)で冬山登山の修行中に急な吹雪に見舞われ、安全を取って少し下山したところにある避難小屋に戻ろうとしていたらしい。彼のパーティは7人。彼は前から4番目を歩いていたそうだ。あともう少しで避難小屋かと思われたその時、向こう側から4人のパーティが山を登って来るのが見えたそうだ。この吹雪の中、避難小屋を背にして敢えて山を登るなど無謀な行為なのに…とこの時Y氏は思ったそうだ。
さて、山でのマナーといえばゴミの持ち帰りと(笑)、すれ違いざまのご挨拶なのだが、このパーティとすれ違うときに山岳部の先輩達は先頭を歩く人がこんにちは!(もっと体育会系の言い方)と挨拶した。すると…続きます。
Posted in 未分類 on 05/21/2010 10:34 am by saho
太鼓の振動に心地好く酔っていると、次は神職の祝詞が淡々と響き…あぁ、いい気分だな~と思っていると、拝殿の奥の方から雲母色したキラキラした空気が流れ込んでくるのが見え(感じ?)ました。
多賀大社は古事記にも記述されている神社だと由緒書にも書いてありましたが、ご祭神はイザナギの命とイザナミの命で、伊勢の天照さんのご両親でもあります。祈祷の最後には榊の奉納を私が代表で行なわせて頂きましたが、全員で行なう二拝二拍手一拝が寸分の狂いも無く整っていたのがとても心地好く響いていました。
神事というのは、確かにとても形式ばって見えますが、その形式さえもが我々の天に対する畏敬に繋がっているようでとても素敵に思えました。考えてみれば、神事以外に形式ばったコトなど、今の時代にはほぼ無いに等しい時代ですものね。これからの子供たちには、是非に伝えておきたい文化だと思います。続く…
Posted in 未分類 on 07/15/2009 10:10 am by saho
家の近所に岩盤浴屋さんがあるというので、ちょいと行ってみた。なんでもそこの岩盤には珍しいヒマラヤ産ブラックグルマなる鉱石を使っているそうで、マイナスイオンと遠赤外線が大量放出され身体にいいらしい。まぁ、何処の店でも同じような謳い文句があるが(笑)。
ヒマラヤの石なる岩盤がどんな波動やエネルギーを持っているのか興味があったが、何も特筆すべきような結果は無かったように思う。ヒマラヤ石だと持て囃してはみても、イズコの地でもそんなものなんだろう、きっと。ちょっとガッカリしたが、暖かい石の上にも一時間ほど寝転がっていると、室温は高くないのにそれなりに汗が出てくる。こうなると波動の堪能よりも排毒が先決だな。
が、汗まみれなのにシャワーは浴びない方がいいですよと店員さんに言われる。えっ?なんで??と訊くと、ここの岩盤浴で出た汗は化粧水並みに肌にいいんだとか!!常連の方は洗い流さずに帰られるそうだ。う〜ん、恐るべし!憬れのヒマラヤ・パワーをようやくここに見た気がした!結局シャワーを浴びずにその後にはハワイのマッサージ方式のロミロミを全身オイルだらけになりながら受ける。ここまでオイルだらけになると流石にシャワーの許可も出るんだろなぁ〜と思っていると、このオイルが身体にいい…んだそうで…。蒸しタオルで全身を拭いてもらっただけで、今更シャワーを浴びるのも憚られそうな気がして、そのまんま大人しく家路についたのでした。
Posted in 未分類 on 06/23/2009 04:08 pm by saho
気付くためのチャンスはどこにでも転がっている。『吾以外、皆、師。』なかなか興味深い言葉だと思う。
日々起こる事象、現象。付き合う人たちの中から生まれ出る友情や軋轢。そんな中で心に漣が起こったら、立ち止まって耳を澄ませてみるといい。
自分の内部から沸き起こる静かな感情を、冷静に眺めてみるといい。そうすれば何を自分は恐れ、拒絶し、何を必要としているのかがリアルに解る。
どれだけ成長するのかどうかは、そんな何気ない日々の中から、どれだけ沢山の自分の心の動きを見据えられるのかが重要な鍵を握っていると思える。
そして心の動きが見えたなら、いやな部分を感じたら、それと闘えばいい。また、それを素敵な部分だと感じたのなら、抱きしめて愛してやればいい。
私は自分の中のひ弱で泣き虫なところを、正直に素直に感情を出してしまうお子様な部分を、今優しく抱きしめているところだ。
Posted in 未分類 on 06/23/2009 04:08 am by saho
気付くためのチャンスはどこにでも転がっている。『吾以外、皆、師。』なかなか興味深い言葉だと思う。
日々起こる事象、現象。付き合う人たちの中から生まれ出る友情や軋轢。そんな中で心に漣が起こったら、立ち止まって耳を澄ませてみるといい。
自分の内部から沸き起こる静かな感情を、冷静に眺めてみるといい。そうすれば何を自分は恐れ、拒絶し、何を必要としているのかがリアルに解る。
どれだけ成長するのかどうかは、そんな何気ない日々の中から、どれだけ沢山の自分の心の動きを見据えられるのかが重要な鍵を握っていると思える。
そして心の動きが見えたなら、いやな部分を感じたら、それと闘えばいい。また、それを素敵な部分だと感じたのなら、抱きしめて愛してやればいい。
私は自分の中のひ弱で泣き虫なところを、正直に素直に感情を出してしまうお子様な部分を、今優しく抱きしめているところだ。
Posted in 未分類 on 06/14/2009 12:51 pm by saho
最近の子供は、見るとはなしにTVを一日に平均4時間もつけっぱなしにしてダラダラと観ているそうだ。ちょっと驚く数字ではある。しかしどんなに垂れ流しの情報に包まれていても何一つ脳の活性化には繋がらず、やがては脳の各所が極めて鈍感な反応しか示さないようになるそうである。恐ろしい話だ。
使わないと劣化するのは、何も飲み屋での冗談じみた下ネタ話だけではないようだ。それと似た話で、最近流行の生活習慣病の動脈硬化などが挙げられる。本来は外敵と戦って怪我をしたり、獲物と格闘した際の流血を止血するための、本来なら生きるために重要な防御機能でもある血液のシステムが、今では全く使われないが為に滞り固まり、堆積した結果に動脈硬化などを起こすなどと考えられている。
日頃から生き物の一種としての適度な訓練や生活は、文明の爛熟した現代でも必要なようだ。
身体を適度に使って、劣化しないようにいたしましょう〜♪
Posted in 先祖供養, 未分類 on 06/10/2009 03:45 am by saho
物質的な供養に意味はないと昨日書いたが、花だけは違う意味があるらしい。勿論生きた花には特別な力があるようで、人にはないエネルギーを分けてくれる。お供えの花は供える側も、先祖に供える気持ちで活けるわけだから、そのエネルギーは直接、先祖達に届く。生きたモノには物質だけでは計り知れない、エネルギーの交換が起こるようだ。
暑さで疲れたり、仕事で辛い思いをしたり、家族の中に問題児が居たのなら、どうか家庭内に花を活けて下さい。たったそれだけで、家庭内の波動に微妙な変化が起こります。幸せな家庭なら、更に幸せになるべく花を活けて下さい。食卓や玄関に飾られた花は、それを美しいと眺めてくれる人に無償の愛情を提供してくれます。
しかし、仏壇のお花ってどうしてあんなに陰気なんでしょう!買いに行っても「仏花」の中に欲しいお花が見つかりません。よしっ、帰宅したら先ずはカサブランカでも買いに行こうかな♪先祖達と、だけどやっぱり自分のために…えへへっ。
Posted in 未分類 on 06/05/2009 12:41 pm by saho
朝からアポイントの予定に追われる一日。お昼にランチをご一緒した方は京都の伝統産業に携わる方で、数百年に亘る伝統のノウハウを淡々と語ってくれた。
本当の技とは、結局は自分で盗み、培い、鍛錬せねばならないもののようだ。口頭では伝えきれないものかぁ。真理や感性と同じなんだと妙に感心してしまった。
さて、今日は何人からも同じようなことを言われ困惑してしまった。「最近なんだか綺麗になったんじゃない?」そこで私は悪戯っぽく笑いながら、それはきっと恋をしているせいよ♪と答えることにしているが、痩せたのと化粧のテクニックが上達(?)したのと、自分の問題に正面切って立ち向かい、ちょいとばかし魂が成長したことにより内部の光の強さが大きくなったからだろう。
夜は軽く食事に出向き、祇園へ移動。古くから私を見守る人たちの傍で、自由気ままに振舞えるありがたさをかみ締めていた。そんな夜。