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Archive for the ‘太陽参拝’ Category

登山話から

 面白い話を聞いた。随分昔にエベレストに登頂した方のお話だが、3千メートル登ると高山病対策としてその場で1〜2日の休養を取れば身体が慣れるらしい。次に5〜6千メートル級になると、人体の何処かの組織(うろ覚えでごめんなさい)を体内部で何か(血液内部の組織だったかな?)に変化させるらしく、それに慣れるにはその高度をキープしたまま1週間の休養が必要となるそうだ。8千メートルともなると、人体機能が限界で生命維持のためには早めの下山が必要となるらしい。

 そんな体験談の中で…だけどこんな体験談を語っても、現地で体験しないことには何一つリアルには伝わらないし、聞く側に於いても理解も出来ないだろうと話されていた。

 一度でも命を懸けたことのある体験をした人には、澄んだ瞳の輝きと、冷たいばかりに透き通る碧い真実が込められていた。

 結局、何事も体験しなけりゃ腹には入らない。頭で理解していることは、残念だが実践では全く役には立たない。そしてそれを知るためにこそ、『今』がある!未来も無い。過去も無い。あるのは今、この時だけ。

 そしていま、あなたは今この文章を読み、自分の成長のために真理をより深く認識しようと努力している。なんて素敵な『今』なんでしょう!

 

今あることを丹念に

 心躍るいい話は、乗ったら落される落とし穴♪耳触りのいい話を聞いていて、将来に明るい展望を抱き心躍らせた瞬間から真理の反対側へと突き落とされてしまう。悲しいかなこれが現実。

 それは何故か?そこから欲望が生まれ、執着が生まれるからである。例えば仲間とのの宴会を思い出して頂きたい。高価なワインを何本も開け、ハチャメチャに楽しい無礼講の連続。お腹の皮がよじけるくらいに愉しい時間。その後は賑やか事がお好きな神が沢山集まっておられるので、凄いことになってしまうが、これを次回も♪と望んではならない。「あ〜面白かった♪」と一過性の事柄と、切捨ててしまわねば執着となり落とし穴にハマる。

 決して楽しみを期待してはいけない。起こる事は素直に受け取るのはいいが、次を望んだ瞬間からドツボにハマる♪

 これは儲け話や恋愛、酒の席など多岐に亘り、人の一番弱いところを突いて来る。未来を心躍る薔薇色に想像した瞬間から、泥にマミレた未来が始まる(笑)。

 ただ今あることを、丹念に誠心誠意、一生懸命生きればいい。その上で明るい未来が開けるのは己が手で掴み取った現実だ。それを堪能するは快楽だけに溺れぬ人間だけが手にする現実。本当に悲しいかな、これが現実。

 残念ながら、悠久の真理なのである。

 

エンガチョ

 無事に帰宅してから、今度は私自身が風邪のような症状で、吐き戻したり胃が痛かったり。慌しさできっと何か余計なものを拾ったか、ただの看護疲れなのか。けれど大変な中でも、精神の何処もブレないで淡々と自分にそのとき出来うる最大限のことだけを考えて動いていた。

 『なぜ、こうなってしまったのか?もしかして自分のせい??』などと考える回路は持ち合わせていない。常に成るように成っただけのこと。宇宙の法則を自分のせいにして悩むなど、愚の骨頂だと思っている。その考え方を無責任だと或いは思うかもしれないが、責任を被ったからといって、現実の何が変化するのだろう?また、責任を取るといって何が出来るんだろう?暗くジメジメと己を呪うばかりだろうに。

 結局、どんな事象・現象にも誰に責任などありはしない。あるのは普遍の一定な法則と、己の裁量を推し量ろうとする己の魂の試練があるのみ。

 これをあなたに当て嵌めたとしよう。今日一日、あなたは何を悩み、何を思い煩いましたか?それを打破するために、何か一つでも行動しましたか?良くなるようにと、最善を尽くそうと努力することこそが、『今日を大切に生きる』ことに繋がります。

 悩みの中身のそのほとんどは、自分の心の(主に恐怖心)作り出した幻想で出来上がっています。今日もコレに関連するような相談が3件入りました。いつも言ってるんだけどなぁ〜。さ、気が付いた人から早速エンガチョしてみましょうか。(エンガチョ・判らない人は宮崎駿アニメの千と千尋の神隠しでもゆっくり観て下さい。)

 

それぞれの感じ方

 ゴーストバスターの私でも、ごくたま〜に恐ろしい目に遭うこともあって、小さい脳ミソなりに解決法を考えたり、何処が間違っていたんだろうかと模索するコトはまだまだ多い。

 自分の前に現れる小さな現象や日常生活の中から、それらのキッカケをどれだけ多く見つけ出せるのかが、案外成長への道標だったりする。

 感じることを重視してばかりでは苦しい人生を構築するだけだが、何も気が付かないと思い込んで、日々与えられるキッカケを無視していたのでは、天からの気付きのための雷は落とされてしまう。

 初めに感じた気配や直感を今一度思い出してみると初心に戻れたりするし、一番初めに感じた感覚が、回りまわって結局は一番正しかったりもする。

 もう既に何十年とその肉体と折り合って生きているわけだし、そろそろご自分の肉体の出す合図や警報音などを聞き取ってもいいんじゃないですか?

 あなたに起こりうる現象は、全てがあなたのためだけに整えられたスペシャルな現象です。それら現象の良し悪しを論議する前に、自分の足元を覗き込んでみてください。

 全ての答えを握っているのは、素に戻ったあなたの心の中だけに存在しています。

 

エンガチョ

 無事に帰宅してから、今度は私自身が風邪のような症状で、吐き戻したり胃が痛かったり。慌しさできっと何か余計なものを拾ったか、ただの看護疲れなのか。けれど大変な中でも、精神の何処もブレないで淡々と自分にそのとき出来うる最大限のことだけを考えて動いていた。
 『なぜ、こうなってしまったのか?もしかして自分のせい??』などと考える回路は持ち合わせていない。常に成るように成っただけのこと。宇宙の法則を自分のせいにして悩むなど、愚の骨頂だと思っている。その考え方を無責任だと或いは思うかもしれないが、責任を被ったからといって、現実の何が変化するのだろう?また、責任を取るといって何が出来るんだろう?暗くジメジメと己を呪うばかりだろうに。
 結局、どんな事象・現象にも誰に責任などありはしない。あるのは普遍の一定な法則と、己の裁量を推し量ろうとする己の魂の試練があるのみ。
 これをあなたに当て嵌めたとしよう。今日一日、あなたは何を悩み、何を思い煩いましたか?それを打破するために、何か一つでも行動しましたか?良くなるようにと、最善を尽くそうと努力することこそが、『今日を大切に生きる』ことに繋がります。
 悩みの中身のそのほとんどは、自分の心の(主に恐怖心)作り出した幻想で出来上がっています。今日もコレに関連するような相談が3件入りました。いつも言ってるんだけどなぁ〜。さ、気が付いた人から早速エンガチョしてみましょうか。(エンガチョ・判らない人は宮崎駿アニメの千と千尋の神隠しでもゆっくり観て下さい。)

 

究極の奥義

 先日、耳にあけている私のピアス穴について質問があった。「どうして3つなんですか?」『あぁ、これは父と子と聖霊の御名において…の意味なんですよ。』と冗談で言ったら本気にされてしまった。そんな簡単に納得しないでくれぇ〜って感じです(汗)。

 こんなピアス穴程度のモノに意味なんてありません。お洒落気分で開けただけで、本当は5個か7個くらい開ける予定だったんですが、電話するとき邪魔なので利便性を考えて止めただけです。左側に開けたのは、有名なホモ印(彼らが開けるのは左らしい)の影響や特別思想に基づいての発想ではなく、私がただ左利きなので自分で開けやすかっただけのこと。

 しかし今度からは大地と海と空だとか、肉と霊と魂だとか、魂と神と天だとか…もっともらしい言い方も面白いかもしれませんね。聞く側にとっては、なにかオドロしい意味合いがあると思って期待されてるわけですもんね。

 私がもし教祖なら…「これは神のお告げで開けたもので幸せになれます。」と答えると信者さんは大喜びで皆左耳に3個のピアスを開けたんでしょうか。

 言葉マジックとは使いようによっては恐ろしいものでもありますし、意味の無いものが多いようにも思います。

 この世での奥儀なんて誰でも知ってる簡単なモノだけなんですが。

 それは太陽を参拝し、心身魂に太陽を入れて、太陽のような明るい笑顔をしているだけでいいんです。

 

太陽参拝とヒーリング

 懐かしい人から質問が入った。「自分の体調が悪いときなどにヒーリングするのは相手に悪影響を及ぼさないのですか?」。はい、正直に言って影響はあります。

 ヒーリングにもいろんなレベルがありまして、自分のエネルギー(命)を削ってする方法。霊(低級)などの他のエネルギーを借りてする方法。太陽(神)などの高次元からのエネルギーを使ってする方法。

 太陽と完璧に繋がっていれば問題はありませんが、それでもその時々の精神状況により変動があるのが人間です。体調が悪い場合などはそこらの霊の憑依や、精神エネルギーの磨耗もあるでしょうし、肉体的にちゃんと高次のエネルギーを賄い切れないからこそ、妙に体力が疲弊するんです。

 そんなときのヒーリングは、相手に悪影響はほとんどありませんが、自分自身に出る場合が多いです。グッタリ疲れたりします。それに太陽と繋がっていない場合に多いわけですから、自分のエネルギーをつい使ってしまいます。これではヒーリングの質が悪いだけでなく、更に本人が疲弊します。

 ヒーリングされるときには、太陽参拝をしてから「いまからヒーリング致します!」と自分や太陽(神)に対しての明確な意思表示をされると、失敗は少ないように思います。でもね…恐れずにヒーリングは続けてくださいね。出すだけではなく、自分にも更に大きなエネルギーが高次元から自動的に入り込むんですから。

 

究極の奥義

 先日、耳にあけている私のピアス穴について質問があった。「どうして3つなんですか?」『あぁ、これは父と子と聖霊の御名において…の意味なんですよ。』と冗談で言ったら本気にされてしまった。そんな簡単に納得しないでくれぇ〜って感じです(汗)。
 こんなピアス穴程度のモノに意味なんてありません。お洒落気分で開けただけで、本当は5個か7個くらい開ける予定だったんですが、電話するとき邪魔なので利便性を考えて止めただけです。左側に開けたのは、有名なホモ印(彼らが開けるのは左らしい)の影響や特別思想に基づいての発想ではなく、私がただ左利きなので自分で開けやすかっただけのこと。
 しかし今度からは大地と海と空だとか、肉と霊と魂だとか、魂と神と天だとか…もっともらしい言い方も面白いかもしれませんね。聞く側にとっては、なにかオドロしい意味合いがあると思って期待されてるわけですもんね。
 私がもし教祖なら…「これは神のお告げで開けたもので幸せになれます。」と答えると信者さんは大喜びで皆左耳に3個のピアスを開けたんでしょうか。
 言葉マジックとは使いようによっては恐ろしいものでもありますし、意味の無いものが多いようにも思います。
 この世での奥儀なんて誰でも知ってる簡単なモノだけなんですが。
 それは太陽を参拝し、心身魂に太陽を入れて、太陽のような明るい笑顔をしているだけでいいんです。

 

太陽参拝とヒーリング

 懐かしい人から質問が入った。「自分の体調が悪いときなどにヒーリングするのは相手に悪影響を及ぼさないのですか?」。はい、正直に言って影響はあります。
 ヒーリングにもいろんなレベルがありまして、自分のエネルギー(命)を削ってする方法。霊(低級)などの他のエネルギーを借りてする方法。太陽(神)などの高次元からのエネルギーを使ってする方法。
 太陽と完璧に繋がっていれば問題はありませんが、それでもその時々の精神状況により変動があるのが人間です。体調が悪い場合などはそこらの霊の憑依や、精神エネルギーの磨耗もあるでしょうし、肉体的にちゃんと高次のエネルギーを賄い切れないからこそ、妙に体力が疲弊するんです。
 そんなときのヒーリングは、相手に悪影響はほとんどありませんが、自分自身に出る場合が多いです。グッタリ疲れたりします。それに太陽と繋がっていない場合に多いわけですから、自分のエネルギーをつい使ってしまいます。これではヒーリングの質が悪いだけでなく、更に本人が疲弊します。
 ヒーリングされるときには、太陽参拝をしてから「いまからヒーリング致します!」と自分や太陽(神)に対しての明確な意思表示をされると、失敗は少ないように思います。でもね…恐れずにヒーリングは続けてくださいね。出すだけではなく、自分にも更に大きなエネルギーが高次元から自動的に入り込むんですから。

 

第三の心

 遂にその本質へと書き進めて参りました!三番目の部分は霊体です。成仏するといわれる部分はこれより上の部分です。コレより先の『魂』の部分の下位の部分と多少重複するように感じますし、人間から観れば大した変化はないようにさえ思えますが、実際にはこれらの垣根はきっちり明瞭会計システムになっているようで、騙したり隠したりは不可能なようです。

 世間で言う幽霊などは、このあたりの仕業も多いようです。しかし、あまり遠出をしたり散歩などといったことは出来にくいようです。昨日の幽体より高等ですが、基本はそうは変わらなく感じます。まだ人間の肉体から発した苦しみや感情に支配されていますし、それらのストレスが霊体を悩ませて変形させたり憑依により精神に異常をきたすのも、ここの部分です。

 しかし…言葉で表現するということは、何故にこんなにも難しいのでしょう??全ては一つで、全ては異質なものなんです。そして、全てはバラバラで、全ては同じものなんです。

 あぁ説明できない自分がもどかしいです。