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Archive for the ‘太陽参拝’ Category

第二の心

 『霊』としての真ん中に位置する第二の部分は、幽霊などに代表されている幽体の部分。主に感情を操る部分のようで、古戦場などで何百年も経っていてすでに霊などの気配は感じないのに怪奇現象などがよく起こるのは、この「念」の部分がたくさんしがみ付いているためだと思われます。

 生霊の部分もコレです。幽体離脱もこの辺りが勝手にお散歩することを指すようで、若いころの私もなんどもこれに苦しめられました。ズルリと頭の先から着ぐるみを脱ぐような感じで、なんだかネバァ〜っとしていて気分は悪く、いつも早く自分の着ぐるみ(下で寝転がっているように見えている自分の本体)に戻ろうとモガイテいました。

 霊能力者の方も、ここの部分が発達している方が多いように思います。しかし、幽体部分は肉の命を存続させるための生体エネルギーをも賄う貯蔵庫ののような部分なため、極端に使いすぎると本体の命をも削ります。命を削り、本来(肉体)の護りが無くなると、低級霊たちに乗っ取られて餌になってしまいます。

 だから古来より霊能者や祈祷者は畳の上で死ねないとよく言われて来ましたし、無闇に霊に繋がろうとすると危ないわよと言って来たのには、こんな理由もあったからなんです。

 よい子のみなさん!こんな荒っぽい部分は、あまり使わないようにしましょう。

 

第一の心

 知人と話していて、言葉に隔たりがあったのでもう一度言葉の持つ表現について考えてみた。

 『心』→『魂』→『神』→『天』について。すっかり霊の話を欠落させたまま神の話題に移行したので、もう一度検証してみたいと思います。

 この『心』の部分がそっくり私の解釈だと霊ということになります。しかし、『霊』も一つのみではなく約3層ほどに分かれています。

 判りやすく説明すれば肉に一番近い部分がオーラなどの極めて表面的な感情の部分。今日はまずココのお話を重点的に書いてみますね。ココは小さく薄いですが、オーラとして普通に見えたり、キルリアン写真などで写して見ることも出来ます。言葉に愛を込めたり剣を持たせたりなどが出来ます(霊の部分と重複しているが)。

 私の場合、妊娠してお腹に子が居るときはこのオーラの大きさはお腹を中心として普段の倍でした。私は黄色、子は青白く光っており、いつもシャンプーするときうつむいて目を閉じていても眩しく感じた程です。出産後はそれが一気になくなり悲しくなるくらいでした。どちらかと言えば命を繋ぎ止めるという意味で、現世的な、ある種野生的な部分なのかもしれません。

 身体の特定の部分が弱ると、オーラもその部分の光が弱くなって見えます。怪我や手術をすると、その部分からオーラの気配が消えたように見えることもありました。言葉を他に知らないので、とりあえずはココを「第一の心」とでも呼んでおく事にしましょうか。

 

神よりもまず自分

朝から友人達が遊びに来て、家の中で寛いだ週末。一人、問題児を連れて来ていたので 休みの日なのに自宅でセッション。以前の私ならシッポを丸めて逃げたくなったろうが、出来る限りの話をさせて頂いた。

 ハウルの中の台詞で「どうして逃げないの?」と聞かれ「僕は十分逃げた。でも今はようやく守らなければならないものが出来たんだ。それが君だ」というのがあった。これこそが今の私の気持ち。簡素で静謐な肯定、これが愛。

 またある方は神に間違っていると指摘されたと責められ精神的な不安を抱いていらした。その方の波動を読むとかなり気になったので強引に私から電話してみた。

 神の世界を押し出す前に、まず自分の人生を立て直す必要がある。それを怠っては不安定になるだけで、更に悪い波動に支配されてしまう。前向きに、強く、しなやかに。

 そして真理を伝えようとするならば、深い愛を持って接しなければ相手の心は開かれない。とても簡単で、とても難しいこと。けれど誰にでも出来るごく普通なこと。

 だから知識を持つ鷹は爪を隠してはいけない。さぁ、あなたも身の回りから始めてください。

 

神よりもまず自分

朝から友人達が遊びに来て、家の中で寛いだ週末。一人、問題児を連れて来ていたので 休みの日なのに自宅でセッション。以前の私ならシッポを丸めて逃げたくなったろうが、出来る限りの話をさせて頂いた。
 ハウルの中の台詞で「どうして逃げないの?」と聞かれ「僕は十分逃げた。でも今はようやく守らなければならないものが出来たんだ。それが君だ」というのがあった。これこそが今の私の気持ち。簡素で静謐な肯定、これが愛。
 またある方は神に間違っていると指摘されたと責められ精神的な不安を抱いていらした。その方の波動を読むとかなり気になったので強引に私から電話してみた。
 神の世界を押し出す前に、まず自分の人生を立て直す必要がある。それを怠っては不安定になるだけで、更に悪い波動に支配されてしまう。前向きに、強く、しなやかに。
 そして真理を伝えようとするならば、深い愛を持って接しなければ相手の心は開かれない。とても簡単で、とても難しいこと。けれど誰にでも出来るごく普通なこと。
 だから知識を持つ鷹は爪を隠してはいけない。さぁ、あなたも身の回りから始めてください。

 

準・物質

 月曜日なので真面目に仕事。久しぶりに逢った取引先の社長と軽く食事に出向いた。

 いろんな愚痴を聞かされ、悩み相談室になってしまったが、仕事が上手くいかないならそれなりに、上手くいくならそれなりに悩みは尽きないもののようだ。

 「浜の真砂は尽きるとも〜」の台詞がチラリと頭を過ぎり、少し笑えた。勿論続きは「〜世に悩みの種は尽きまじ」だ。

 相談を受けていて思うのは、ほとんどが自分で創り出した幻影とでも呼ぶべきモノに、自ら進んで怯え苦悩している。

 あ〜なるかもしれない。こ〜なるかもしれないなどと、最悪の状況を想定して苦しんでいる。思考の中で「最悪の設定」を思い描くと、心がそれに捉われしてまい、益々悪い波動に塗れてしまうのに。

 『思い』というモノは決して物質ではないが、一番具現化しやすい準・物質的なモノだと心しておいて頂きたい。これでは最悪の状況を率先して手繰り寄せているようなものだ。趣味や楽しみとしてワザと苦悩しているのかな?と疑問に感じるのだが、本人は大真面目で幸せを望んでいる。やっぱり入り口は太陽参拝しかなさそうだな。

 

準・物質

 月曜日なので真面目に仕事。久しぶりに逢った取引先の社長と軽く食事に出向いた。

 いろんな愚痴を聞かされ、悩み相談室になってしまったが、仕事が上手くいかないならそれなりに、上手くいくならそれなりに悩みは尽きないもののようだ。

 「浜の真砂は尽きるとも〜」の台詞がチラリと頭を過ぎり、少し笑えた。勿論続きは「〜世に悩みの種は尽きまじ」だ。

 相談を受けていて思うのは、ほとんどが自分で創り出した幻影とでも呼ぶべきモノに、自ら進んで怯え苦悩している。

 あ〜なるかもしれない。こ〜なるかもしれないなどと、最悪の状況を想定して苦しんでいる。思考の中で「最悪の設定」を思い描くと、心がそれに捉われしてまい、益々悪い波動に塗れてしまうのに。

 『思い』というモノは決して物質ではないが、一番具現化しやすい準・物質的なモノだと心しておいて頂きたい。これでは最悪の状況を率先して手繰り寄せているようなものだ。趣味や楽しみとしてワザと苦悩しているのかな?と疑問に感じるのだが、本人は大真面目で幸せを望んでいる。やっぱり入り口は太陽参拝しかなさそうだな。

 

解決

 朝から穏やかな時間を過ごした。木曜日はなるべくのんびり寛ぐ曜日にしている。そうでもしないと身体が持たない。

 さて今日は書くこともないので真理の捉え方について。

 真理は全ての存在の大本でありルールのようなものだと思える。

 人間の問題は日常の中で起こり、それらを一つずつ解決することで真理を腹の底から理解していく。が、闇雲に求めても必要な経験を重ねない限りは、手にしても理解することは出来ない。
 
 まず自分の生活を真正面から取り組み、問題解決を自分なりの方法を編み出しつつ進め、苦しくてもそれに固執せず、明るく楽しく生きるのが近道だ。前回、仲間で集まったときに、私が「事故で電車が遅れたのは間違った考えをしたからだ」と軽く言ったら、それを「私が間違ったんだろうか?」とその場の全員が深く悩み始めて、その光景が異様だったと指摘されたことがある。

 ときには悩むことも必要だが、思い煩ってはいけない。それは悪い波動に固執することになる。間違いは一瞬に起こり、気が付けば一瞬にして解決される。間違いが解らなければ、それに気が付けるように望めばいい。たったそれだけのこと。

 ねっ?簡単でしょう??

 

使い道

 土曜日もお仕事♪先日、太陽参拝をお伝えした人から、やり方は合っているか?と聞かれたが、微妙な違和感があったので聞き返すと、見たままの太陽を身体に入れていたそうである。

 しかし、それだけではいけない!その時には必ず朝日の太陽をイメージして取り入れなければならない。

 理由は、同じ太陽でも時間帯によって大きくエネルギーレベルが変化するからである。何時でも夜中でも『朝日の太陽』と想像してから取り組めば、数段の変化を実感してもらえるだろう。

 また同じ日の出の太陽でも、現在の太陽よりも今から3〜4十億年前の、もっとオレンジ色に強く光る創成期頃の太陽を想像してみると更に強くなるのだが。

 これは言葉だけでは伝えきれないようなので、次回お会いしたときに体験してくださいね。

 強い霊体と対峙するときは、そのコロナの炎で焼き尽くすイメージで挑むとあっさり片付きますし、熱さを嫌ううちのチビなどには青い太陽で熱だけを取り去って入れることもしています。使い方は様々です。あなたのお好みはどれですか?

 

明白

 朝から仕事で京都と大阪を駆け巡った。休みがあると、気が抜けるせいか小さなポカが続いた。参ったなぁ〜。

 昨夜からは小さな相談がメールで次々入ってくる。「特定の人を想った時に頭痛がする」この人の場合は相手の悪いものを受けたよりも、本人が何かを感じたいが為に自ら発動してしまった負の感性。

 日頃鈍感で何も見れない、感じないと思い煩うと、いつか見えてくるようになる。が、それは程度の低いモノを感じるようになっただけで、何のプラスにもならない。

 白いドレスを着て、泥遊びに興じただけだ。仮に塗れ泥の存在を知っても、真理には対峙出来ないばかりか、天に仇なすモノにしか成り得ない。

 視たい感じたいと思い求める気持ちも、何かの能力を得たいがだけのエゴでしかない。それは執着であり、自惚れから来る選民意識でしかない。そんなものは巷の霊能者に任せ、あなたには限りなく広大な天の真理を目指して貰いたい!

 真理が何かって??それはあなたがあなたとして生まれてきた理由だ。その理由も今となっては明白!魂レベルで進化する為だけなんだから。

 

解決

 朝から穏やかな時間を過ごした。木曜日はなるべくのんびり寛ぐ曜日にしている。そうでもしないと身体が持たない。

 さて今日は書くこともないので真理の捉え方について。

 真理は全ての存在の大本でありルールのようなものだと思える。

 人間の問題は日常の中で起こり、それらを一つずつ解決することで真理を腹の底から理解していく。が、闇雲に求めても必要な経験を重ねない限りは、手にしても理解することは出来ない。
 
 まず自分の生活を真正面から取り組み、問題解決を自分なりの方法を編み出しつつ進め、苦しくてもそれに固執せず、明るく楽しく生きるのが近道だ。前回、仲間で集まったときに、私が「事故で電車が遅れたのは間違った考えをしたからだ」と軽く言ったら、それを「私が間違ったんだろうか?」とその場の全員が深く悩み始めて、その光景が異様だったと指摘されたことがある。

 ときには悩むことも必要だが、思い煩ってはいけない。それは悪い波動に固執することになる。間違いは一瞬に起こり、気が付けば一瞬にして解決される。間違いが解らなければ、それに気が付けるように望めばいい。たったそれだけのこと。

 ねっ?簡単でしょう??