Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 06:19 pm by saho
『龍神さんはどんな役割をしているのか?』というのがあった。そういえば、今まで疑問に思ったことも無かったが、そういえば何をしているんだろう?
正直言って、これは私では全く解らない。そもそも「神」という尊称の中にもレベルが相当な階段状に分かれていて、呼び出したり関わっていく人間のレベルとおおよそ同格のモノしか来ない。いや、来ないというより、格の大いなる異差はお互いに認識不能になってしまうので、たとえ傍に来ていても気付きも出来ないでいる。
…であるので、遊び人の幼虫のような龍神もいれば、雨などを司るお仕事に従事する龍神もおられるし、人間界と密接なお仕事をされる龍神もおられるだろう。しかし、地球の壮絶な自然現象を司ってはいても、我々人間と同じように『天』にお仕えする僕でしかない。
神界のお使いさんであるが故にその仕事内容については全く不明だが…空を見上げているとたまに見掛けることもある。太いのから細いのまで。色もアズキ色やらシルバー、白黒黄色…。
そういえば昔、チビがまだお腹に入っていた頃のことだが、阪急電車に乗っていると、電車と同じ太さのシルバー色した大きな龍神が車窓の外から私を覗き込んでいて、腰が抜けるほどに驚いたことがあったっけ。
因みに俗に言う雨男・雨女の類は、龍神と縁の深い方も多いが、同行すると楽しみにしていた旅行などに雨を降らされたりするので若干迷惑な御仁ではある。さて龍神さん。まぁ悪戯心も旺盛なようで、面白い生き物であることだけは確かなようだ。
Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 06:13 pm by saho
人間で在る限りは、他人のコトにも気が回るのは普通のことだろうし、確かに幼少の頃より他人と比較したり競ったり、兎角周囲に対して恥ずかしくないようにと育てられて来た。
けれど、それは真っ白な無地の人間形態しか持って居ない子供に規範を教え込むためのものでしかない。長ずるにあたり、それは枷となり殻となり、己を限る大きな柵となる。規範という名の枠に嵌めることは、それはとても簡単な事だろうし、そこから食み出さない限りは優秀で善良な人だと評価されるのが人間社会でのルールではあるが…。
それを論って、正当性を論じて…そこから何が生まれるというのだろう?
近代教育に繋がるエミールの教育論を執筆したルソーが、実は5人の自分の子供達を孤児院に入れたことは?自分の子供を実験に使って天然痘の種痘を発見したジェンナーが実は、自分の子には実験を施さずに貧民層から幼い子供を集め生体実験を繰り返していたことなどいろんな意味で、人にはやろうとして挫折したり、叶わない事等も沢山あるだろうが、一番に目を惹くのはひっくるめてヒトの人間臭く素晴らしいところではないだろうか。
例えばそこから生じる傷さえも、全ては天より与えられたカルマの一部。ただ、それに囚われ続けていくのではなく、前を向き自分に出来るところから始め、やがて高みを目指すことの方が重要だと思えてならない。
Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 06:08 pm by saho
さて、その更に深い内部についてリポートはまだまだ続く。『教祖{おやさま、と読む)はまだご存命(明治時代の人)で、まるで生きている時のようにお風呂や食事などのお世話をしているそうです。チョッと怖いです。ただ、ここで会う人々は「一生懸命」に動くので、素晴らしいなぁと思います。』とあった。
そこで私は「その働きぶりは良く知っています。しかし自分に自信が無いからこそ、自分に自信を持たせたり、自立を支援するはずの宗教が、奉仕することで神の加護を強固にするといった教義では、更なる依存者を生むだけだと思います。その環境に居れば、オヤサマのお考えに近くなるのかしら?それとも、そうならなかった人は加護ももらえないのかしら?」とメールを出すとこう返って来た。
『加護が貰えないどころか、よくないことが起こるという考えみたいです。「こころえちがいはでなおしじゃ」出直し=死です。変です。裸の王様の話みたいに感じることもあります。』と書いてあった。なんだか強烈な話だ。
やり直し論に対しては一理有るとも思えるが、どうも強い依存心を生むのだけには違和感が生じる。しかしあれだけの規模の新興宗教。きっと、何かにとってはいいことも沢山在るに違いない!??のかな??
Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 06:03 pm by saho
知人が最近、奈良の天○教に身内の勧誘もあったためか、心身の鍛錬のためと称し修行に入っている。その中から、一般的には不思議な体験やら、笑い話などをレポートしてきてくれる。これがまた、たまらなく面白い。
元々天○教の信者ではなかった彼女は、その実際の見聞から。『オツトメは「あしきをはろうてたすけため、てん○おうのみこと〜」と正座で謳いながら手踊りを21回します。
その後に「ちょいとはなし、かみのいうこときいてくれ」と更に続きがあります。この地唄に「鳴り物」として太鼓、ツヅミ、しの笛、すりがね、琴、三味線、胡弓が加わりますが、歌と楽器がズレていてもお構いなしなので、とてもミョ〜です。が、誰も笑ってないのでそれもミョ〜です。他に「お手ふり」といって踊りが12通りあり、日の丸の扇を両手に持つところもあります。これを朝夕2回必ずやります。鳴り物も授業であります…。』初めて見聞きする異国の文明のようで、なんだか面白い。
面白がるばかりでは本格的な信者さんに叱られそうだが、とても興味をそそられる。さて続きは明日にでも…。
Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 05:45 pm by saho
ここのところ壮絶な内容のニュースの連発に、深夜の報道番組を見ることを躊躇してしまうほどだ。ミャンマーのサイクロン被害などは天災と政府による人災が重なり、被害は近年稀に見る数となるだろう。
現地では壮絶な阿鼻叫喚が起こっているだろうが、結局は現地の人たちがそれらの阿鼻叫喚すらを必要としてその地に生まれているようだ。だからこのときも結局は『そなたには、全く関係なし』との神よりのたった一言の伝言があったのみ。
関係ないとは言われても、もしかしたら募金くらいはするかもしれないし、いつか最悪な状況が報道番組で流れて、私はまた泣いちゃうかもしれない(因みに泣いちゃうのは悲しいからではなく、切ないからだ)。けれどこの艱難を乗り越えるようにとの試練は、近くで阪神淡路の震災を目にした者にとっては恐怖にすら映っている。
あ、ちゃんとやっとかなくっちゃ…ふと思い出し慌てて「懺悔」をしている。
Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 10:29 am by saho
気になっていることを、少し。一緒に食事をしていて同じ物を食べているのに「美味しくなかったね」などと口にする人が居る。そんな台詞は味覚の品評会ならイザ知らず、楽しく一緒に食事をした時間までもが「美味しくない時間」だったのかと思えてガッカリする。
例えどんなに不味かったとしても「楽しかったね」だとかのフォローがあれば救われたんだけど。実に思いやりのない、醜い言葉だと思った。自分以外の何かを評価するという立場に立ったなら、周囲の人への気持ちくらいは思い遣りつつ発言するのが、心身ともに霊格の上質さを兼ね備えた人なんだろうとも思った。
これはやはり年齢やステイタスなどでは賄えない、持って生まれた未知なる深遠さが働いているんだろうか。グルメを気取る前に、もっと磨くべき大切な部分があるだろうに…などとお節介に感じた次第。
何を食べても美味しく感じる私って、やっぱりイベリコ街道まっしぐらなのかしら??
Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 10:26 am by saho
これといった話題が無いので『悪霊さん』について。悪霊とは、まさに成仏もせず、周囲を怨み、天(多分本人はその存在も知らない)を怨み、無知なる罪に上塗りを重ね、その苦しみから逃れるために居心地良さそうな「入れ物」に入り込み一時の心の渇きを癒そうとする。その「入れ物」が生きている人間だというところが困り者なんであるが。
不成仏霊は単純に、死後の世界を全く知らぬか、生前にお世話になった宗教などによる間違った刷り込みで死後の世界はないと思い込んでいるのかのどちらかである。諭せば比較的簡単に上がってくれる素直な霊であることが多い。
それに引き換え、悪霊さんはちょっと性格が歪んでいるのか、他の不成仏霊と合体して膨れ上がったのか、周囲に毒を吐き続けているので、一度入られてしまうとかなり生命のエネルギーを抜かれてしまう。
悪さの程度でいえば、不成仏霊が1だとしたら、悪霊が10〜100。悪魔が1000〜1万くらい。桁が一つずつ大きくなってしまう。それらの祓いを生きた人間がするのだから、天の加護や神の加護なくしては全く先には進めない。
そんなエゲツナイ悪魔の取り付いた掛け軸を自宅に保管していた私って…軽い腰痛だけで済んだのが不思議だと、周囲に哂われている。どこかに体の余分な脂肪だけを吸い取ってくれる悪霊さんって、いないもんかしらね??
Posted in 悩み相談 on 07/27/2009 10:22 am by saho
先日、重い悪霊の憑依を祓った方に「暫くの間は、憑依が抜け落ちた後にポッカリと孔が開くので、今までと同じような後遺症がでるかもしれませんよ」と話した。
霊が抜け落ちた痕も、肉体に何かが刺さって取り去った痕にも、回復するまでは同じように血を流し続けてしまう。肉体の後遺症にはバンドエイドを貼るが、悪霊の後遺症に一番効くのはやはりヒーリングしかないようだ。
しかし、この悪霊も人体のいろんな場所に憑依する。最近流行のパニック障害などは、頭・脳への霊の憑依による後遺症なようだ。脳のネットワークの一部が寸断されているので、脳の組織が全てたいらけく(笑)キャッチボールが出来るようにと(心を籠めずに)暖めるようにヒーリングするといい。
まぁ、憑依を受けるというのも、かなりの懺悔するべき課題を持っているということでもあるので…違う働き掛けも必要ではあるのだが。
Posted in きょう女の独り言 on 07/27/2009 09:50 am by saho
祈りに、何故心を籠めてはいけないのか、について。答えは簡単。
心を籠めた途端に、精神レベルが人間界の重く低いレベルに終始してしまい、天に向けて送り出す高次元であるべき波動が天には全く届かなくなってしまうためだ。
なによっ、ここまで進化した私がコレだけ愛情を籠めて祈ってるのにっ!と思いたい方はそうなさればいい。一切、個人のなさることに口出しは致しません。
しかし、心を籠めるのは人間界や霊界に限っている事実もどうか知り置いて下さい。巷におられる低級な神ですら、私たちの言う処の「紛らわしい押し付けの心」など既にお持ちではありませんから。
進化を始めた人が、何処か人間じみた感性を失っているのは…或いはそんなせいなのかもしれませんね。
Posted in 神や天のこと on 07/27/2009 09:45 am by saho
意外に懺悔に対しての問い合わせが相次いだ。真理とは遠く異質に感じたからだろうか?
神道・真理・ニューエイジ・ヒーリング・ヒンドゥー教のヴェーダ・中国の易経・仏教のスートラ・ヘラクレイトス・仏教そして新旧約聖書に起源を持つ宗教全般、ならびに禅。全てに共通する意識は、普遍の宇宙的唯一絶対神の存在と、それに倣うかのように進化し続ける魂の存在だと思う。
昔は天国へと還れる儀式や形式・呪文ももっと単純だった。「なむあみだぶつ」や「アーメン」「ありがとう」それに似たような呪文の数々。そのどれにも意味なんてものはなく、意味があってもそもそも一般的には意味不明で何を言っているのか解らない。
要するに心がまるっきり篭っていない…のに、天を目的にし、そこに心を添わせようとしている。どうも、その辺りの部分に懺悔の大きな秘密があるようだ。
天国に行くには、身を清めるために懺悔をしなくてはならない。懺悔といっても、此処でいう意味は、「天に対する罪・穢れ」であり、これらは何代にも亘っての過去世に於いて、あなたの魂に書き込まれたデータでしかない。
そのデータを消すには、心の篭らないデータしかない。不思議な話だが、真理に心は…既に必要とはしない世界のようである。