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Archive for 6月, 2010

拒絶?2

 そういえば過去に何度か、こうしたヒーリングの拒絶を味わったことがある。そのほとんどが真理への否定などというものよりも、ヒーリングを行うまでの繋がりに於ける、人間関係への拒絶がほとんどだった。

 マイナスを多く背負う人にヒーリングしても、施術側が気力・体力共に疲弊するだけでちゃんとそれなりに届くし、他の新興宗教に入っており我々の真理を真っ向から否定されていてもヒーリングはキチンと届いていた。

 とすれば、やはり感情的な極めて人間的な心の中でのブロックしか考えられないのだが…。同じ身内でありながら、嫌悪するほどに受け入れられない心の中身とは、一体どんなに悲しいことがあったんだろう?また自分以外を嫌悪する者は、自分の肉体をも同時に傷付けている。どうかやすらけく、たいらけく…過ごして欲しいものです。

 

拒絶?

 とある方のご親族が手術をするというので、ヒーリング依頼を受けた。依頼メールを受け取った瞬間に少し違和感があったものの、とりあえずヒーリングしてみると…ヒーリングのエネルギーが素直に入っていかない。あれ?変だなぁ~?と思い、もう一度チャレンジしてみたが、頑として受け付けてくれようとはしなかった。

 以前に一度、このご親族の方に直接お逢いした事があるのだが、こういった真理的な話題にはまるで懐疑的で、簡単に出来るはずの太陽参拝さえ拒まれているのが判った。

 何故にここまで頑なになってしまったのかと想像してみたが、これには生まれ育った家族内での怨みなどがかさ高く積み上げられているよう思えた。特に私との間を仲介した人物への激しい嫌悪が、より強くヒーリングを遮断しているような感じだった。

 ま、これは家族間で処理する問題なので、どの道各自でその辺りの事は対処していくんだろう。因みにこの時、同時に何名かに個別のヒーリング要請が入っていたそうだが、私以外にもヒーリングの拒絶感を感じたという人が居たので、やはり気のせいではなかったのか。続く…

 

ご本尊様2

 さて、押入れから出てきた小さな巻物。もう誰も要らないし、神社に持っていくのも面倒だったので、軽く祓ってからゴミ箱にポイッと入れた。

 心の奥で、「祟れるものなら私に祟ってみな!」と呟きながら。もちろん、こんなお題目の印刷されただけのお軸にそれだけの力もないのは誰だって頭では理解出来るんだけど、目に見えない、あるのかどうかも判らない様な恐怖を与えるやり方は、どれほどに天に叛いた生き方をしているのかを、先輩信者たちは理解しているんだろうか?

 どちらにしても、必ずどちらかの世界でケジメを付けなくてはならないんだけどね。そういえばここのお題目のご本尊を預かったのはこれが二本目。こういった怪しいモノで棄て場に困るものは神社に持っていくのが一番良いと思うので、次回からはそうお伝えしようと思っています。…何が出てくるのか判らないウチの押入れ。今度は何が出てくるのかな??

 

ご本尊様…

 押入れの奥を掃除していたら、布に巻かれた小さなお軸のようなモノが出てきた。何だっけ??と思い紐を解くと、それは以前に知り合いから預かったままになっていた某学会のご本尊が入っていた。

 数年前に預かったっきりになっていたが、これがうち来た理由と云うのが…無理やり入信させられた友人が学会から与えられたお軸だそうで「このご本尊様を破ったら体のそこが引き千切れてしまったり、捨てたりすると一生の良い運命から全て見捨てられ、学会に返却すれば縁が全て絶たれてしまい不幸のどん底に陥るらしい」と脱会したがっていたのにとても恐ろしがっていた。

 そんなこと、あるわけないじゃない!と諭しても、その地区を統括する沢山の先輩信者に円陣を組まれ、畳み掛けるように恐ろしい話を聞かされていくうちにマインドをコントロールされてしまっていているようだった。なので『大丈夫よ、私が預かってちゃんと処分しておいてあげるから』といった経緯で、どうやら押入れの奥に押し込まれたまますっかり忘れていたようだ。

 笑えるくらいに面白いお話だが、これは事実である。その後、その知人は朝夕には絶対に上げなければならない(とされる)お経も読まなくなり、どこにも障りもなく無事に幸せに暮らしているんだけど…。なんでこんなエゲツナイ布教活動をするのかしらね?続きます…

 

分杭峠2

 この分杭峠はwikiによると長野の伊那と下伊那との境界に位置し、標高1424mの峠にあるそうです。西日本の地質を内帯と外帯に二分する中央構造線の断層谷を利用した街道であり、分杭峠は中央構造線の谷中分水界にあたるそうで、人知を超えた大地のエネルギーも相当に強いことが想像できます。

 N女史によると、そこに居るととても気持ちが落ち着き、何時間でもそこに居たいと思えたそうです。去年は待ち時間など全く無かったそうですが、それ覚悟ででも一度は行ってみたい場所ですね。一度、分杭ツアーでも企画してみたいものですね。

 伊那は毎年子供がサマーキャンプに行くところなので、とても良いところですよ。虫は多いですけどね。分杭峠の南北のラインも同じような断層が走っているので、その辺りでの宿泊も同じような大地のエネルギーはあると思います。興味のおありの方は、ぜひどうぞ♪

 

分杭峠

 最近TVや雑誌で引っ張りだこのパワースポット。取材する方もそろそろ底を尽いたのか、えっ?ここが?と思われるような場所も時折紹介されているが…やはり「0磁場」と呼ばれている分杭峠が私的には一番スゴイと思える。

 行ったことはないのだが、去年私が手術をした折にN女史が、ここの湧き水を大量に届けて下さり毎日飲んでいた。味は…不思議な味がして、今まで一度も経験したことの無いような不思議な軽さのある水でした。

 2週間に一度届けて貰っていましたが、夏に常温でキープしていても水質の劣化は全く無く、美味しく頂いていましたよ。そのお水の力もあったのか、病後の治癒はとても早く退院後は直ぐに前線に復帰出来ましたから。

 一度行ってみたいのですが、今では近所の村役場に駐車場が設けられ、村からシャトルバスでしか行けなくなっており、お水を汲む場所に到達するまで平日で3時間、土日は4~5時間待ちだそうです(涙)。

 

山での話3

 山男の世界だと、こういった話はゴマンとあるらしい。けれどあの世のパーティ達は悪さをすることもなく、淡々と大好きだった山を縦横無尽に今でも歩いていることを思うと、ちょっとだけ救われたような気分になる。

 エベレストの山頂付近には、今でもそこここで永遠に回収されることもない遺体が、そのままで眠っているそうだし。…そんな話を、山登りを趣味とする別の人に話したところ…そういった山での霊との遭遇の話はゴロゴロとありますよーとニッコリ微笑みながら話してくれた。

 山男と云う種類の生き物は、畳の上で死んでも霊となれた暁には山に戻るに違いないと思えました。本当に、山は得体の知れない不思議な底力のあるところですね~。

 

山での話し2

 すると、向こうのパーティは俯いたまま荒い息を付きながら、こちらを見ることも無くすれ違ったそうだ。2番目の先輩も、3番目を歩く先輩も挨拶したのに、向こう側からは挨拶も無く、ただ荒い息が聞こえただけだったらしい。ついに前から4番目を歩くY氏も挨拶したけれど、シカトされたが、ようやくこの辺りになって、鈍い彼でも何かが違うと違和感が走ったらしい。

 7人全員からの挨拶も無視して、避難小屋のもうない山の上の方へと歩き去ってしまった彼らを山岳部のメンバーは振り向くこともせず、ただ黙って黙々と避難小屋に到着したときのこと。Y氏は思わず、暗い顔をした先輩に訊いたそうだ。「今ののはなんなんですかっ??」

 すると先輩は俯いたまま、ポツリと「まだ彷徨ってるんだよ。彼らの装備を見ただろう?」と話したそうだ。さっきすれ違ったパーティの装備を思い出してみると…彼らは冬山登山の重装備をしておらず、ずっと軽装だったらしい。奇妙な違和感はそれだったのか!と思い至ったそうだ。続きます。

 

山での話

 取引先の方が面白い話を聞かせてくれた。仮にその方をY氏としておこう。このY氏、学生の頃は泣く子も黙る某W大山岳部に在籍していたそうで、見るからに今でも山男。そのY氏が大きな身体を縮めながら…山ではこの世とあの世が入り乱れてるんです!と話してくれた。

 聞けば、群馬のT岳(遭難者の異様に多い山らしい)で冬山登山の修行中に急な吹雪に見舞われ、安全を取って少し下山したところにある避難小屋に戻ろうとしていたらしい。彼のパーティは7人。彼は前から4番目を歩いていたそうだ。あともう少しで避難小屋かと思われたその時、向こう側から4人のパーティが山を登って来るのが見えたそうだ。この吹雪の中、避難小屋を背にして敢えて山を登るなど無謀な行為なのに…とこの時Y氏は思ったそうだ。

 さて、山でのマナーといえばゴミの持ち帰りと(笑)、すれ違いざまのご挨拶なのだが、このパーティとすれ違うときに山岳部の先輩達は先頭を歩く人がこんにちは!(もっと体育会系の言い方)と挨拶した。すると…続きます。

 

隙間

 仏像の話を書いたが、意外に反響が大きかった。これは大丈夫ですか?とあちこちから画像付きメールが送信されてきた。ヤバイかな?と思うくらいなら棄てればいいのに、心の何処かでやはり姿形あるものに頼ってしまうのは、本人の心の弱さにあると思う。最終的には自分自身が神と同格の神性を持つモノだとの認識が稀薄になっていたせいだろう。

 由緒ある像でも、100円均一店で買った像でも、公園で拾った小石でも、山で薪にし損なった小枝でも、心を向けて祈り、お供えを供えて祀り始めると途端に何かが入り込んでしまう。また入ったモノのマイナス度合いが強ければ強いほど、様々なことを話し始めたり奇妙な力を与えてくれたりする。

 そうなると人間側は「これはスゴイ神が入った像だ!」と勘違いし、更に丁寧に祀りはじめてしまう。将来的にずっと面倒を見て祀っているうちは障りがなくても、祀ることに飽きて止めたり、病気などで面倒が見れなくなったり、はたまたポックリあの世に旅立ってしまったりすると、途端に祟り神に変化してしまい、子孫を狙って攻撃して来るので注意が必要となる。(特に経済的なパワーを与えてくれるキツネ・蛇系が顕著だ)

 どの道、マイナスのエネルギーを家や会社に引き入れたところで、ロクなコトはないと思ったほうが良い。どれを選ぶかの最終決定は本人が決めること。きっと心の隙間は、向こうの世界からは丸見えなんでしょうね。