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Posts Tagged ‘天’

天の試練その2

 昨日の解釈は、主に肉体についての極めて表面的な部分に限られていたのがちょっと個人的には気に入らない(笑)。

 では、どう違うのか。先ず、大任とは何ぞや?から始まる。これは真理探究の観点から発すれば、勿論社会や人などに対することではないことくらい、容易に想像は付くだろう。この大任とは己の…(かなり宗教用語になってしまい歯痒いのだが)、解脱に尽きる。

 解脱、若しくはこの世への輪廻転生からの離脱。人間社会での勉学の不要になった者。又は更なる天界への進化、とも表現すればよいのか。それこそが、人間としてこの世に下りてきて学ぶための意味であり、極意だと思う。

 先を急ぎたい魂には、当然に猛烈な試練が与えられ、緩やかに生を愉しみたい魂には、それなりのスケールの苦悩が与えられる。真理には目もくれず自分本位にこの生を生きれば、己が己の無知な魂を鼓舞させるために檻に繋がれたるような不自由さを感じる生ともなろう。その究極の真理。他に求めようとする者が後を絶たないのが現状だが、それらの者に真理を手にすることは絶対に出来ない。

 何故なら真理とは、己が内にこそ存在するのだから。私なりの、そんな読み解き。

 

淡々と死に向き合う

 人間の寿命について考えてみた。寿命と一口に言っても、神の決めたモノもあれば、自分で決める場合もあるだろうが、生まれ持った運命と言う意味で、ある程度は決まったものがあるとしか思えない。

 『死ぬときの予定表もあるんだよ』と聞かされたこともある。生まれ出る時も自分である程度は決定するのだから、勿論当然のように死する時期もハナから想定済みなのだろう。

 人間の視点で考えると、死は哀れで悲しく、とても恐ろしいものだとの「思い込み」に囚われてしまう人も居るだろう。しかし視点を神や天や内天に引き上げ、大局的に眺むればネガティブな感情に囚われることも少なくなる。

 これはやや非人道的な見解だが、宇宙の真理の立場からだと正直な意見だろうと思われる。

 嘆くことがいけないのではない。嘆く感情に囚われたり、あのときこうしていれば…的なマイナスの発想や、自分の内部の欲などが、ひいては天への恨み・もしくは裏切りとなって、いつしか新たな罪を作り出してしまう。そしてまた、魂に深い傷を作り出し…時を超えてまた作り出し…そしてモガク。

 これから『死』に対してどう向き合えばいいのか??答えは簡単。ただ淡々と…心静かに、ただ淡々と。

 

バリ島続き

 ケチャックダンスの始る少し前から大雨。本来なら野外でのダンスだが急遽室内に変更となった。しかし屋根を突き破りそうなほどの大雨で、次第に雷も酷くなった。ダンスは上半身裸の男性数十人が猿の役で、ケチャケチャ言いながら古典神話ストーリーを引っ張っていくもの。内容は他愛ないが、背後に控える神の気配は超一級だ!

 これは、壮絶な現世に近い神だがスケールは今までに遭った神の中でもトップクラスだ!そしてダンス劇が佳境に差し掛かり、それらが終わった瞬間に強烈な雷光とドスーンと一際大きな雷が同時に鳴り、恐ろしいタイミングで停電し当たりは真っ暗になってしまった。きっと観客のほとんどはこの停電が演出だと思っていた筈だ。

 その後も炎の中に飛び込んで踊るシャーマンなどを観たが、私はもう既に感動と興奮と恐怖と、神への畏敬の念と、真摯に天に向かわなきゃいけない恐怖にも近い決心と…その他もろもろで、ほんとうは大泣きしたいのを必死で堪え、小さくカタカタ震えながら目にはいっぱいに涙を溜めていた。あまりのショックでとても言葉には出来なかった。これがバリの底力なんだろう。

 それから雨の中、どこをどう帰ったのか…ほとんど覚えていない。雷と大雨の洗礼を受けながら、けれど心の中は晴れ晴れとしたものがあったし、明日への生きる活力にもなったように感じた。

 現世の神は日本では穏やかな方が多いが、人々が真摯に神を信じるこの国では、神々も壮絶なパワーを持っておられるようである。その夜はずっと、オープンエアーのリビングでバリの朝明を飲みながらぼ〜っとしたまま過ごしていた、ような気がする。

 

天の愛を感じるとき

 お天気には恵まれたが、肌寒い一日だった。この気候で、まだ桜の枝にしがみ付いた花びらが、強い風に煽られて眼下をひらりと舞って行く。

 自然の営みを眺めていると、大いなるものの中に内在している自分の存在が理解出来た。それは、身体ごと、魂ごと神の両の掌に優しく包み込まれ、地上にある優しいもの全てと、暖かいもの全てを集め、まるで静かな祈りを捧げられるかのように、そっと心に流れ込んでくる。

 こうして生きて行く勇気を分け与えられ、様々な障害に立ち向かえる気力が培われていくのかもしれないな。たまにはピクニックでもして、大地の愛情を受け取るのもいいかな?そんな春の一日。

 あなたは天からの愛を、何処で感じていますか?

 

天の愛を感じるとき

 お天気には恵まれたが、肌寒い一日だった。この気候で、まだ桜の枝にしがみ付いた花びらが、強い風に煽られて眼下をひらりと舞って行く。

 自然の営みを眺めていると、大いなるものの中に内在している自分の存在が理解出来た。それは、身体ごと、魂ごと神の両の掌に優しく包み込まれ、地上にある優しいもの全てと、暖かいもの全てを集め、まるで静かな祈りを捧げられるかのように、そっと心に流れ込んでくる。

 こうして生きて行く勇気を分け与えられ、様々な障害に立ち向かえる気力が培われていくのかもしれないな。たまにはピクニックでもして、大地の愛情を受け取るのもいいかな?そんな春の一日。

 あなたは天からの愛を、何処で感じていますか?

 

バブーちゃん!?

 林間学校から帰ってきたチビの喜びの報告で終始した一日。余程楽しかったようだ。

 子供の頃のあらゆる体験は、子供の将来にも強い影響を及ぼすものだから、親としては極力質の良い体験を与えてやりたいと願っている。

 幼少の頃のトラウマで苦しんでいる方も多いし、死ぬまでそれらから脱却出来ずに居る大人も多い。

 それはカルマの一つだし、魂の傷にも繋がるので大人になってからは魂のヒーリングといった形でケアーするとよい。

 が、やはり魂の器を拡げない限り難しいのかな?難儀な課題ではある。

 深夜、電話で話した方が、私をバブーちゃんと呼ぶ。何故?と聞くと、寝相が子供並みにひどかったのと、酔っ払った時に甘えた声で電話に出たからだそうだ。

 ふっふっふ…今頃知ったか?親に溺愛されて育ったので、こーいった甘えん坊な人格になってしまったんだろう。これもトラウマの一例かもしれない。

 幾つになっても甘えさせてくれたり、受け止めてくれる人のいる限り、バブーちゃんで居たいなぁ〜などと思った天をも恐れぬ夜。

 真理や天を話はするが、所詮は私もただの人間だもの〜♪

 

バブーちゃん!?

 林間学校から帰ってきたチビの喜びの報告で終始した一日。余程楽しかったようだ。
 子供の頃のあらゆる体験は、子供の将来にも強い影響を及ぼすものだから、親としては極力質の良い体験を与えてやりたいと願っている。
 幼少の頃のトラウマで苦しんでいる方も多いし、死ぬまでそれらから脱却出来ずに居る大人も多い。
 それはカルマの一つだし、魂の傷にも繋がるので大人になってからは魂のヒーリングといった形でケアーするとよい。
 が、やはり魂の器を拡げない限り難しいのかな?難儀な課題ではある。
 深夜、電話で話した方が、私をバブーちゃんと呼ぶ。何故?と聞くと、寝相が子供並みにひどかったのと、酔っ払った時に甘えた声で電話に出たからだそうだ。
 ふっふっふ…今頃知ったか?親に溺愛されて育ったので、こーいった甘えん坊な人格になってしまったんだろう。これもトラウマの一例かもしれない。
 幾つになっても甘えさせてくれたり、受け止めてくれる人のいる限り、バブーちゃんで居たいなぁ〜などと思った天をも恐れぬ夜。
 真理や天を話はするが、所詮は私もただの人間だもの〜♪

 

言葉

 仕事をした後、京都で知人と逢った。普段は真理の話はしないのだが、なにかのきっかけでそんな話になった。

 「心→魂→神→天」それが想像の出来ないことであるらしかった。言葉を選びながら、誤解を与えぬように一つ一つ説明してはみたが、全く初めから説明するとなるとこうも難しいものかと驚いた。

 普通に日頃から認識して生活しているとしごく当たり前の事も、言葉にすると酷く難しい表現のしようのないことだと半ば絶句した。

 「心」は自分の表層意識でもあり、霊とも捉えられる。「魂」とは深層意識であり、本当の自分の姿である。

 それぞれのサイズは桁違いとなり、容易には到達出来ない。到達は出来なくても体験することは出来るので。次回に仲間と会うときには、久しぶりにまた内天体験ツアーにお連れしようと思います。イビキをかいて寝てしまう方もおられますが、それはそれでちゃんと体験しているので笑わずに居て下さいね。(笑)

 数分のうちに普通に熟睡なんて出来ないのに、それが熟睡出来るというのも凄い事なんですから。

 

言葉

 仕事をした後、京都で知人と逢った。普段は真理の話はしないのだが、なにかのきっかけでそんな話になった。

 「心→魂→神→天」それが想像の出来ないことであるらしかった。言葉を選びながら、誤解を与えぬように一つ一つ説明してはみたが、全く初めから説明するとなるとこうも難しいものかと驚いた。

 普通に日頃から認識して生活しているとしごく当たり前の事も、言葉にすると酷く難しい表現のしようのないことだと半ば絶句した。

 「心」は自分の表層意識でもあり、霊とも捉えられる。「魂」とは深層意識であり、本当の自分の姿である。

 それぞれのサイズは桁違いとなり、容易には到達出来ない。到達は出来なくても体験することは出来るので。次回に仲間と会うときには、久しぶりにまた内天体験ツアーにお連れしようと思います。イビキをかいて寝てしまう方もおられますが、それはそれでちゃんと体験しているので笑わずに居て下さいね。(笑)

 数分のうちに普通に熟睡なんて出来ないのに、それが熟睡出来るというのも凄い事なんですから。

 

天からの愛

 お天気には恵まれたが、肌寒い一日だった。この気候で、まだ枝にしがみ付いた木々の花びらが、強い風に煽られて眼下をひらりと舞って行く。
 自然の営みを眺めていると、大いなるモノの中に内在している自分の存在が理解出来た。
 それは・・身体ごと、魂ごと神の両の掌に優しく包み込まれ、地上にある優しいもの全てと、暖かいもの全てを集め、まるで静かな祈りを捧げられるかのように、そっと心に流れ込んで来る。
 こうして生きて行く勇気を分け与えられ、様々な障害に立ち向かえる気力が培われていくのかもしれないな。たまにはピクニックでもして、大地の愛情を受け取るのもいいかな?そんな春の一日。あなたは天からの愛を、何処で感じていますか?